なおみ庵

頼まれる人、尋ねられる人

どうにもこうにも気がふさいでしまうけど、これじゃいかんのだ。

身体も動かせなくて、言葉も思うように話せなくなってしまった人を目の前にして
私のできることは何だろう?といつも考えるんだけど。
心が通じ合って、思いが伝えられたらいいのになあ。
目だけで会話ができたらいいのにと思う、いつも。

「よほど、混乱してる状況でない限り、人はその人にできないことしか
頼まないものですよ」って、言われたことがあって。

そのときは「へっ?そんなもんかな?」って思ったけど、
やっぱりそうみたいだなあ。

「なおみちゃん、あれ、買ってきて」って頼まれたんだけど。
私がずっと使っている液体歯磨きを勧めたら、使ってくれてたみたいで、
その人が「前に買ってきてくれたのと同じのがいいから」って。
そんなことでも、頼んでもらえると嬉しかった。
少しは役に立てたかなって思えるから。

苦しんでいる人を目の前にして、自分の無力さを痛感する毎日です。
でも、いつも私はできること、なんでもするよっていう信号は送り続けよう。


人が頼みごとをするとか、ものを尋ねるときって、答えてもらえそうな人のところに
行くものなんだなあ。
だけど、それは知っている間柄ならわかるけど。

見知らぬ人から、ものを尋ねられたり、頼まれたりするってどういうことでしょう?

うちのダンナ・ヒロシは、おとつい、大阪で外人に英語で道を尋ねられたらしい。
なんか全然聞き取れなかったけど、「大丸」っていうのだけわかったから
「地下鉄の次の駅で降りたらすぐ」って教えたらしいけど。

よくまあ、人に道を尋ねられる人なんです。
名古屋に行っても尋ねられるし、(答えて教えたらしいけど)
ニューヨークでも聞かれたことがあるらしい(もちろん日本人にだけど)

観光地でカメラを手渡されて、「写真撮ってもらえますか?」っていうのも
しょっちゅう言われてる。

しまいには、東京にいるとき、道を歩いてて、おばあさんに
電車賃をくださいって言われたり、コンビニで山梨まで帰る旅費を貸してくれって
言われたりしてるんだなあ。

どうして、知らない人からこうも尋ねられたり、頼まれたりするんでしょうか?
人は、ヒロシのどこを見て、声をかけてくるんだろう?
なんか、不思議だなあ・・・・。

でも、その人たちの判断はあっているのだ。
道はよく知ってるし、まあ親切な方だろうから邪険にはしないだろうし、
写真も上手に撮るし、大金は持ってないけど、小銭ならあわよくば
もらえるかも?っていうところ!!


人と人の間には、目に見えないものが、たくさん絡み合っているっていうこと
でしょうか?

それを考えたら、私がずっと「元気になってね。私にできることなら
なんでもするよ。何でも言ってね」って心から送っているエールは
彼女に届いている・・・・と信じたいな。




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