なおみ庵

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父の日に


先週の父の日に、松山の義父が亡くなりました。

1ヶ月前にがんが見つかり、手術したのですが、
退院後に急に弱ってしまったようです。

その急激な変化はそばで見ていた
義母も義姉も想像していなかったようで、
ヒロシも「ちょっと顔を見に帰る」と言う
程度の気持ちで帰ったのが、
結果、最期を看取ることになりました。

義母が「なおみさんが来てくれたよ~」と耳元で声を掛けたら
義父は懸命に目を開けてくれて
最期はヒロシの手を握って旅立ちました。

私たちが松山に着いて30分も経たない間のことでした。

あまりにあっけない最期でしたが、
ひ孫達がにぎやかに騒いでいるそばで逝ったのも、
子ども好きだった義父らしいと今は思っています。


外国航路の船長さんだった人で、
豪気で、それでいて優しい昭和の父でした。

船を降りてからは、社交ダンスに通って
食欲も旺盛、本当に元気な人だったので、
きっと90歳までは生きるだろうとみんな思ってたんですが、
人の寿命とはわからないものですね。
享年86歳でした。


なんでもとりあえず一番よいものを買う人で、
家には受信できるアンテナもチューナーもないのに、
衛星放送がついているテレビがあったり、
扇風機は7段階の調節ができるのだったり、
「こんなん、いらんやーん!」と突っ込みどころが多くて
よく笑わせてもらいました。

ヒロシには松山にいる姉と東京に住む弟がいます。
普段、マメに連絡を取ることもなく
会ってもそう楽しげに話すでもなく
あっさりとした関係でしたが、
今回、義父を見送った後の話し合いは
とても気持ちが通じ合っているように見えました。

姉弟で、昔話にも花が咲いて
よく泣いたけど、それ以上によく笑いました。
これは、お義父さんがそれなりの年齢まで
長生きしてくれたからできたことだと思います。

きっと心の中では後悔や懺悔があったと思うし、
平常心を見失いがちな状況の中でも
落ち着いていろんな話し合いができてよかったなあ、
姉弟っていいもんだなと思いました。
性格も、考え方も違うところはあるんだろうけど、
根底には共通するものを持ち合わせているようで
それを育てたのは、やはり両親なのでしょうね。

あやも従姉弟達とお通夜、葬儀と
長い時間を一緒に過ごして、
初めていろんな話ができたようでした。

これもすべて、お義父さんが引き合わせてくれたんだなと
思います。

先週2回ほど松山を車で往復したのですが、
かつて経験したことのない雷雨の中を長時間走りました。
義父らしく、天からお別れの挨拶をしてくれているような、
ふとそんな気持ちになりました。



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